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Cinema de 温故知新

時代の波に翻弄された巨匠監督〜溝口健二 没後60年

今年は1956年8月24日に58歳で死去した溝口健二監督の没後60年。それにあたり、衛星劇場では6月に『祇園の姉妹』(36)、『残菊物語』(39)、『元禄忠臣蔵 前編』(41)、『同 後編』(42)を、7月に『女性の勝利』(46)、『歌麿をめぐる五人の女』(46)、『女優須磨子の恋』(47)、『夜の女たち』(48)をオンエアする。

 『残菊物語』は2015年度カンヌ国際映画祭クラシック部門で上映されたデジタル修復リマスター版としてテレビ初放送になるので、そちらもご期待されたい。

 これらの作品個々に関して今さら説明も不要ではあるが、いずれも戦前の作品であり、1934年に新興キネマを退社した溝口監督は、永田雅一が日活に反旗を翻して設立した第一映画社で『折鶴お千』や『浪華悲歌』(36)『祇園の姉妹』など“女”を描いた秀作を連打するも、その後永田が第一映画を解散して新興シネマに転出したことから、彼も新興キネマに戻り、『愛怨峡』(37)などを手掛けていく。

 そして39年、松竹京都(下加茂)撮影所に迎えられた溝口監督は『残菊物語』『浪花女』(40)『芸道一代男』(41)といった“芸道三部作”を発表して多大なる評価を得て(惜しくも後の2本はフィルムが現存しない)、『元禄忠臣蔵』前後編に着手したものの、これが興行的に苦戦したことで、彼は長いスランプに陥り、それは戦後しばらくの間まで続いていくのであった。

 『祇園の姉妹』から『元禄忠臣蔵』までの間、軍国主義化の日本は中国と、そして米英ら連合国との戦争を始めていくが、そういった殺気立ったご時世と女と男の情念にこだわる溝口映画は無縁のものであり、またその間、溝口監督は悠々たる長廻しを基調とする演出スタイルを確立させ、同時に完全主義者として君臨するようになるが、脚本家兼映画評論家の滝沢一はこの時期の彼を、「あたかも日本がファシズムに傾倒していくことに歩調を合わせるがごとく、彼自身も撮影現場におけるファシストと化していった」と形容している。

残菊物語 デジタル修復版

そういったファシズム的ナショナリズムが日本中を覆いつくしていく中、溝口監督が自分なりに世相に応じて制作したのが真山青果原作の『元禄忠臣蔵』だったわけだが、綿密な時代考証はもとより、何と松の廊下をはじめとするセットをすべて原寸大で再現するなど、破格の予算と撮影期間を駆使して作られたにもかかわらず、その意図は当時の国民に伝わらなかった。

 また日本がアメリカに宣戦布告してしばらく経った1941年12月21日、溝口夫人が発狂し、入院(彼女の存在もまた溝口作品が描く女性像に大きな影響を与えていると言われている)。

 これも滝沢一の回想だが、『残菊物語』の頃の溝口監督はバルザックの小説を御守にように持ち歩いていたものの、『元禄忠臣蔵』の頃は尾崎士郎一点張りであったという。また戦時下の42年、彼は映画の国策化を推進する大日本映画協会の理事にも就任している。やはりこの時期の彼は、他の映画人、いや多くの日本人と同じように軍国主義という時代の波に翻弄され、次第に己を見失っていったのかもしれない。

 そういった目線でこの時期の溝口作品を見直してみると、また新しい“何か”が見えてくるような、そんな気もしてならないのだが……。