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Cinema de 温故知新

松竹映画における異端の巨匠・渋谷実監督

2017年は渋谷実監督の生誕110年にあたり、衛星劇場では《異端の巨匠 生誕110年渋谷実の世界》と題して、2月に『大根と人参』(65/小津安二郎監督が遺作『秋刀魚の味』の次回作として温めていた企画の映画化)とデビュー作『奥様に知らすべからず』(37)を、3月も続けて数作品のオンエアが予定されている。

 まずは渋谷監督のプロフィールをざっとおさらいすると、1902年1月2日、東京市浅草区の生まれ。30年に松竹蒲田撮影所を見学した縁で牛原虚彦監督作品の見習い助手となり、年末には撮影所に正式入社。主に成瀬己喜男、五所平之助の両監督の助監督を務め、37年に『奥様に知らすべからず』で監督デビュー。43年に応召され、中国戦線を転戦。終戦後1年間収容所生活を送り、46年4月に帰国。以後、社会を風刺した喜劇やメロドラマなどに才を見せ、そのドライなタッチがとかくウエットになりがちな松竹大船調の中で異彩を放った。1980年12月20日、永眠。

 存命中は小津安二郎、木下惠介と並ぶ松竹のヒットメーカーでもあった渋谷実だが、現在ではなぜか注目を集めにくい存在と化して久しい。それは作品全体に通底するどこかシニカルで頑固な気質が、今の映画ファンにはとっつきにくく感じるからかもしれない。

 本人のキャラクターもかなりの頑固気質だったようで(そもそもインタビューなどで自身の過去を語ることを、極度に嫌うタチだったとか)、そんないくつかの点を記すと……。

 まず松竹入社当時は日本映画のクオリティの低さを軽蔑しており、一時は映画から離れようと思ったこともあったとか。

 また成瀬己喜男がPCL(現在の東宝)へ移る際、渋谷を誘ったものの「内向型の成瀬さんのお守りはもうたくさん」と、これを断り、代わりにオトウト弟子の山本薩夫を同行させた(渋谷本人は成瀬よりも、むしろその後でついた五所平之助監督から、映画の構造などいろいろなことを学んだと発言している)。  

奥様に知らすべからず

戦後の復帰作『情炎』(47)で久板栄次郎から抗議文をくらうのを一例に、脚本家とのトラブルは日常茶飯事だったようで、撮影所内でもしばしばそのことで非難されていたとも聞く。

 思うに渋谷実という監督、媚びを売ることが大の苦手で、たとえ他人から何を言われようが、自分が善しとするものを貫き通す強固な意志を持ちあわせていた人物であったのではないか。そんな江戸っ子頑固オヤジぶりは彼の代表作『自由学校』(51)や『本日休診』(52)『やっさもっさ』(53)などのドライな中にインテリジェンスを漂わす風俗喜劇群によく顕れている。

 また下級官僚の汚職事件を題材にした『現代人』(52)も戦後社会を生きる日本人の精神構造を鋭く描いた社会派作品であった(ちなみに二枚目スターだった池部良は、『現代人』で演技開眼したと語っている)。

 こうした傾向は、大船ではなく蒲田撮影所時代の松竹映画に顕著であり、その伝で申せば、渋谷実こそは松竹大船調の中で独り松竹蒲田調を貫き通した監督だったのかもしれない。

 今まではどこかとっつきづらく思われていた渋谷作品だが、こういった背景など知ると俄然興味がわいてくる。そろそろ彼の本格的な再評価が始まっても良い時期に来ているのかもしれない。