衛星劇場 あなたのテレビライフを豊かにする。邦画・洋画・韓流・歌舞伎などバラエティに富んだ上質エンターテインメントチャンネル

邦画・洋画・韓流・歌舞伎などバラエティに富んだ上質エンターテインメントチャンネル

機能リンク
  • 加入申し込み
  • 会員登録
  • 番組表

Chiamata!Chiamata!

世間にユーモアで切り込んでいく、そんな生き方

世田谷パブリックシアター「マクベス」野村萬斎は、今夏大ヒットした映画『シン・ゴジラ』のゴジラのいわゆる「中の人」(モーションキャプチャーで動きのモデルになった)だったことで注目された。1954年に誕生してからずっと着ぐるみ怪獣だったゴジラがこの映画ではCGで描かれることになったのだが、制作者が謎の生物ゴジラの動きに狂言の動きから可能性を求めてのキャスティングで、萬斎の厳かな動きは関係者の期待にみごとに応えたと思う。もともとゴジラは着ぐるみアクターの方が、能の摺り足を意識してアクションしていたと知ったときは、日本の伝統芸能の独特の身体性が、怪獣という異形の存在を表すことにひと役買うのだなと感心したものだ。


野村萬斎が、2010年に初演(その前にリーディングも行っている)、その後再演を繰り返し、2016年4回目となる「マクベス」も、和の様式をふんだんに取り入れることで幽玄性の加わった野村萬斎ならではのシェイクスピア劇だ。ニューヨーク、ソウル、シビウ、パリなどで公演を行い高い評価を受けている。今回の再演は、藤原道三を音楽監修に迎え、津軽三味線や尺八、和太鼓などの生演奏で劇空間を盛り上げ、いっそう和の趣が深まった。


3人の魔女にそそのかされ、野心に燃えた武将・マクベスとその妻は奸計の限りを尽くし一国の王に上り詰めていくが、次第に罪の意識に苛まれていく……。マクベス夫妻と彼らをとりまく武人やその家族ら、たくさんの人々の愛憎が激しく絡み合う、野心と悪事の顛末を描いた悲劇を、萬斎の「マクベス」はたった5人で演じてみせる。


萬斎がマクベス、鈴木砂羽がマクベス夫人を演じ、魔女役の高田恵篤、福士恵二、小林桂太の3人が複数の役を次々演じ分ける趣向だ。正直、シェイクスピア劇は登場人物が多過ぎて、ひとりひとりを把握するのが困難なのだが(マクベス、マクダフ、マルカムってどうして名まえが似ているのか)、同じ俳優が早替わりで演じ分けることで、観るほうの集中力も増し、ひとりひとりの役を認識することができるような気がする。もちろんそれが可能なのは、3人の俳優の身体表現が優秀であるからこそ。


マクベスのめくるめくる人生を四季に見立てながら、上演時間はわずか90分。日本の茶室が狭いながらも宇宙を内包するように、能や狂言のミニマルな表現でマクベスの本質に迫る。魔女の有名な台詞「きれいは汚い、汚いはきれい」を借りれば「小さいは大きい、大きいは小さい」とも言えるだろう。


4回目の再演では、マクベス夫人の人物像の考察が深まって、いわゆる悪妻の印象を払拭し、情のある女性として描きたいという萬斎の期待に応えて、鈴木砂羽が包容力ある妻を演じている。いろいろなことを削ぎ落とすとシンプルな感情が見えてくるのだなあと思うし、シェイクスピアはシンプルで普遍的な骨組みをこれでもかとハデにデコる才能のある作家なのだと改めて感心し、萬斎の試みは、シェイクスピア劇に新鮮な視点をくれる。


「小さいは大きい、大きいは小さい」といえば、セットがシンプルで「風呂敷マクベス」との異名もある萬斎の「マクベス」(最初はもっと大がかりだったのがダウンサイジングされていった)。衣裳や蜘蛛の巣の装置など鮮やかだが、基本、舞台もシンプル装置もシンプル。俳優も少人数。だから海外公演もしやすいとか。俳優の身体表現能力と観客の想像力に委ねるのみの潔さ。それゆえ、舞台上に置かれた黒い袋は異様な存在感を放つ。震災を経た我々はそれを観て事故で除染を余儀なくされた土砂を入れる袋を思う。


先述の萬斎がゴジラを演じた「シン・ゴジラ」も震災を経た日本の現代を見つめた作品で、そういう意味では、「マクベス」で野村萬斎が問いかけたことと、ゴジラを演じたこととは全く無縁とは言い切れない気がする。ゴジラは現代に現れた魔女とも言えるのではないか(萬斎が演じているのはマクベスだけれど)。


果てしない欲望で他者を損ないながら邁進した結果破滅していくマクベスの姿や、魔女たちの名言「きれいは汚い、汚いはきれい」は、迷える今の日本に何を突きつけるのか。