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中国戦国時代、周の国王が刺客に襲われ、嫌疑は7人の諸侯、妃、臣下に及んだ。一方、魏国でも事件が勃発。太子と臣下・王錯が公子を流刑に処し、それによって武功を上げていた将軍・呉起(孫武=孫子、孫臏と並ぶ兵家の代表人物)が楚国に逃亡した。王錯が勝利の宴を開いていたところ、復讐に燃えた呉起が500人の兵で屋敷を取り囲み、屋敷内の人々100人余りを惨殺。更に、保管されているはずの孫武兵書(孫子の兵法)を奪うべく屋敷の中をくまなく探すも、兵書は見つからなかった。その後、王錯の夫人は出産、生まれた子を王禅と名付けた。親友の史太皓に預けられた王禅は、成人すると史太皓の娘と結婚。父親が残した兵書によって兵法の研究を重ねた。
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そして周辺国を旅しながら、乱世を治める理想的な方法を模索していた。まずは、戦乱を避けるため雲蒙山の鬼谷に学舎を作り、弟子をとった。天下を統一し、平和な世を作るという理想を叶えるためだ。弟子たちは、それぞれ専門知識に通じ、将来成すべきことを承知していた。人々は尊敬の気持ちを込めて彼を“鬼谷子”と呼んだ。長年隠されていた周国の闇が暴かれようとしていた。孫武兵書と奴隷廃止、英雄と勇者たち、復讐と救済、力と自由、影と光…。崇高な願いのもとに鬼谷子と孫臏、龐涓、蘇秦、張儀など、優秀な弟子たちが動き始める…。