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Special Interview 倍賞千恵子 SKDの本拠地だった国際劇場は私の芸能生活の中心であり、学校時代も含めて、青春のすべてだったように思います

倍賞千恵子

賞さんは1957年に松竹音楽舞踊学校に入学し、首席で卒業後、13期生として松竹歌劇団(SKD)に入団されました。もともと芸能の世界に興味をお持ちだったのでしょうか?


「それがまったくなかったんです。小さい頃から童謡歌手をしていましたけど、学校の先生になろうと思っていたんです。そしたら両親が松竹音楽舞踊学校の入学案内を持ってきて。驚きましたね(笑)。でも、学校はすごく楽しかったです。歌や踊りだけじゃなく、三味線や太鼓も学ぶことができましたから。三味線は意外と得意で(笑)、『東京踊り』の舞台でも弾いていました。踊りも、タップダンスやクラシックなどいろんなダンスを教えていただきましたし、今でもまだ振り付けを覚えています。きっとすごく厳しかったから覚えているんでしょうね。足がそろっていないと、先生から棒で指導を受けたりして。今だとそうした教え方はよくないといわれますが、若いうちはたくさん吸収できますから、厳しくてもきちんと教えていただくのは、私はとても大事なことだと思います」


当時、松竹音楽舞踊学校は築地にありました。学校ではレッスン以外にどんなことを学ばれたのですか?


「上級生への礼儀作法からお掃除の仕方まで、いろんなことを習いました。下級生は学校の階段を毎日掃除して、自分たちが使う稽古場もきれいにするんです。朝早く掃除をして、先輩方がいらっしゃるまでの時間で自分たちのレッスンをして。稽古場が上級生でいっぱいになると居場所がないから、浅草にあった国際劇場の屋上でタップの練習をしていました。そのため、すぐにタップシューズが傷んでしまったのを覚えています。稽古帰りには、お金がないからお友達とお金を出しあって1つの焼きそばを食べたり。その記憶があるからか、今も浅草に行くと、なぜか焼きそばの匂いが漂ってくる感じがするんです(笑)。まさしく私の青春でしたね、SKDは。そうそう、草笛光子さんが学校を卒業されたあとも、ときどきジャズの先生のところに稽古にいらっしゃっていたんです。そういう日は用事もないのに休み時間に廊下に出て、「来ないかな〜」って姿を探してましたね。廊下ですれ違ったときは、「こっちを見てくれた!」「挨拶をしてくれた!」って大興奮でした(笑)」


倍賞さんは卒業後、すぐにSKDの“四大おどり”の一つである『東京踊り』に出演されました。その時の心境はいかがでしたか?


「公演前に廊下に役が貼られるんです。その中に自分の名前を見つけた時は嬉しかったですね。「あ、役名がある!」って。13期生では2人だけでしたし、それがもう嬉しくて。それに、私の代から首席の卒業生がバトンガールを担当することになりまして。舞台の3階から先頭に立ってバトンを振りながら、階段を降りていくんです。足を踏み外しちゃいけないし、上級生たちの先頭に立って歩くわけですから、もう本当に怖くて。でも、それ以上に光栄に感じていましたし、自慢でもありました。 また、記憶に残っているのが、200人ぐらいのダンシング・チームで踊っている時に靴を客席に飛ばしちゃったことがあるの(笑)。そしたら、「頑張れよー!」っていう言葉と一緒に靴が戻ってきて(笑)。そうしたミスをすると、終演後に共演者の全部の楽屋に謝罪に行く“謝りまわり”というのがあったんですが、返事を返していただけない部屋には何度も足を運びましたね。最初は意地悪をされているのかと思いましたが、でも違うんです。そんな辛い目に遭うと二度と失敗しないようにと気をつけるようになる。おかけで、いまだに靴の紐はきちんと結ぶようになりました(笑)」


先程のお話にも出た浅草の国際劇場はSKDの本拠地でした。映画『男はつらいよ』シリーズ第21作目の『寅次郎わが道をゆく』では、マドンナの木の実ナナさんがSKDのトップスターという役どころで、SKD自体も大きくクローズアップされていました。


「客席に座ってステージを見ているシーンの撮影は、涙が出るほど嬉しかったですね。国際劇場にはずっと不思議なご縁があり、小さい頃に3階席の奥のほうから美空ひばりさんのコンサートを見たことがあり、その後、今度はステージ上から客席を見る側になり、映画では映像に映りながら客席を通してステージを見ていて。こんな経験をされている方はあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。SKDの『東京踊り』に出演する以前にも、学校時代に舞台実習として「ハナ肇とクレージーキャッツ」さんやフランク永井さん、それに若山富三郎さん、村田英雄さんのショーにも出ていたんです。それもすごく印象深くて。ですから、国際劇場が取り壊しになった時は哀しかったですね。その後、跡地に浅草ビューホテルができたわけですが、こけら落とし公演としてディナーショーをしないかというお誘いを受けた時も、最初は悩んだものの、いざ立ってみると感慨深かったです。振り返ると、私の芸能生活は国際劇場を中心にずっと回っている……そんな気がしますね」



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