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Cinema de 温故知新

人間の人間臭さを探求した映画監督・今村昌平

2016年は今村昌平監督の生誕90年にあたり、これを記念して衛星劇場では9月から3ヵ月にわたって生誕90年特集を組むことになった。実は松竹映画とも関わりの深い今村監督だけに、今回また久々に今村作品をチェックする好機かと思える。

 今村昌平は1926年9月15日、東京・大塚生まれ。中学時代から長兄の影響で映画や演劇に魅せられ(この兄は戦時中に戦死)、戦後早稲田大学文学部西洋史学科に進み、小沢昭一、北村和夫、加藤武らと演劇活動に勤しむようになるが、彼らは後の今村映画に欠かせない存在ともなっていく。

 51年、大学卒業とともに松竹撮影所に入所。助監督として、まず小津安二郎監督の『麦秋』(51)に就いたというのが異色のキャリアではあるが、その後は主に野村芳太郎監督作品の現場に就いた。

 54年、製作を再開した日活に移り、同じく松竹から移籍してきた川島雄三監督のチーフ助監督として活躍。ここで彼は川島の人間臭い喜劇へ傾倒していく。特に『幕末太陽傳』(58)では脚本も共同執筆し、今村の特色も加味された傑作として記憶されて久しい。

 58年の監督デビュー作『盗まれた欲情』(58)で河内の旅役者一座の猥雑な旅を描いて、注目される。この時期、東宝の岡本喜八、東映の沢島忠、大映の増村保造など各社の新人が一斉にエネルギッシュな作品を発表していたが、今村は日活を代表するホープとして『西銀座駅前』(58)『果しなき欲望』(58)『にあんちゃん』(59)『豚と軍艦』(61)『にっぽん昆虫記』(63)『赤い殺意』(64)と名作を連打。

 やがて今村プロを立ち上げ『「エロ事師たち」より 人類学入門』(66)『人間蒸発』(67)『神々の深き欲望』(68)を撮る。特に『神々の深き欲望』は波照間島に長期ロケし、日本人の性文化の祖型を神話のように描いた骨太な大作となったが、ここで多額の借金を背負うことになり、その後は『にっぽん戦後史・マダムおんぼろの生活』(70)などのドキュメンタリーを映画やテレビで発表していく。

神々の深き欲望

79年の松竹映画『復讐するは我にあり』で久々に劇映画に復活し、これがヒットして借金も返済。続く『ええじゃないか』(81)は今村映画初のオールスター時代劇大作で、3億円を投じたオープンセットも話題になったが、その猥雑さに遠慮はなかった。

 その後東映と提携して『楢山節考』(83)をオールロケで撮り、カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞。続く『女衒』(87)は南方にからゆきさんたちを“輸出”した明治の怪男児を描いた20年越しの企画で、いわゆる脂ぎった今村映画ならではの重喜劇の集大成。一転して井伏鱒二原作の『黒い雨』(89)では静謐なタッチを貫き、また松竹から名キャメラマン川又昂を招いてのモノクロ映像が異彩を放った。

 97年には『うなぎ』で2度目のカンヌ・パルムドールを受賞。この時期の彼は持ち前の粘っこさこそ薄れていたが、それでも『カンゾー先生』(98)『赤い橋の下のゆるい水』(01)、そして遺作となったオムニバス映画『11'09"01/セプテンバー11』(02)中の1編まで、エネルギッシュな姿勢に変わりはなかった。

 横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を設立して新進の育成にも努めた今村昌平だが、その一方で、かつてカンヌで受賞しながらも、その後ホームレスになった監督の存在を知り、「これからはどんどん人をだまして金を集め、撮りたい映画を撮らねば!」と心に決めたという。人間の人間臭い人間ならではの営みに常に着目し続けてきた彼ならではのエピソードではある。

※9月は『神々の深き欲望』、『ええじゃないか』の2本を放送予定。