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Cinema de 温故知新

山田洋次作品の原点 “喜劇映画”

平成に至る現在まで松竹大船調を牽引し続けながら旺盛に作品を撮り続けている名匠・山田洋次監督。目下『母と暮せば』(15)が公開中で、春には久々の喜劇『家族はつらいよ』(16)がお目見えとなる。

 そもそもは大島渚や篠田正浩ら1960年代の松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手とほぼ同世代でありながら、会社を辞めて反体制反権力的な映画作家としての道を邁進していった彼らに同調することなく、デビュー作『二階の他人』(61)以来、あくまでも松竹という組織の中でプログラムピクチュアを量産し続けていった山田監督だが、今の目線で彼の60年代喜劇作品群を見ると、なかなかにアナーキーな爆発力を秘めたものが多く、その象徴ともいえる立役者が『馬鹿まるだし』(64)に始まる“馬鹿”シリーズなどのハナ肇であったわけだが(『母と暮せば』には、往年の彼を彷彿させるような“上海のおじさん”役で、加藤健一が熟達した名演を披露している)、この時期の彼の喜劇は、庶民に対する理不尽な世の倣いを笑い飛ばそうといった風刺的要素が強く(この要素を徹頭徹尾突き詰めていったのが、先輩の森崎東監督ともいえる)、思えば『男はつらいよ』シリーズ(69〜95)の初期もその傾向が見られる。

 1950年代の日本映画全盛時代に助監督となり、60年代にデビューを果たした監督たちは、どの映画会社からキャリアをスタートさせたかによって、その運命が大きく変わったものと思われる。もし深作欣二や佐藤純彌、中島貞夫らが松竹に入社していたら? 同様に山田監督がもし東映に入社していたら、一体日本映画界の流れはどのように変わっていったか想像してみると面白い。

 山田監督は、60年代から70年代にかけてのヤクザ映画ブームのとき、テキヤの寅さんを主人公に『男はつらいよ』シリーズを発表し続けて一世を風靡するとともに、あたかも現代の股旅ものといった組織からはみ出した流れ者のアイロニーを松竹大船流に吐露し続けていった。そういった視点でシリーズを見直していくと、単にヒューマニスティックな笑いや下町情緒だけではない山田監督の作家としての資質が如実に見えてくる。

家族はつらいよ

渥美清亡き後、山田監督は『虹をつかむ男』2部作(96・97)の後、喜劇映画を撮ることなく、『たそがれ清兵衛』(02)に始まる時代劇3部作や、『母べえ』(07)など吉永小百合とコンビを組んで社会を見据えたヒューマニズム映画、さらには『東京家族』(12)といった先達の映画人へのオマージュと現代への警告を融合させた意欲作を連打していくことで、改めて彼の映画作家としての反骨的資質を際立たせているような気もしてならないのだが、ここに至って久々の喜劇『家族はつらいよ』に挑戦するといった意気からは、初期プログラムピクチュア作品群の復権も含めて、デビューして半世紀以上経つ名匠の日本映画に対する想いを感じずにはいられない。

 まだ『家族はつらいよ』がクランク・インする前に別件で取材させていただいた折、山田監督は「本当はタイトルの頭に“喜劇”と入れたいんだ」とおっしゃっていた。いまどきの“コメディ”ではなく、往年の松竹をはじめとする映画会社各社が好んでつけていた“喜劇”という冠へのこだわり。完成した映画のタイトルにその冠は入っていなかったが、山田監督の胸の内は『喜劇・家族はつらいよ』という想いを貫きながら取り組んだことに疑いようはないだろう。

 山田映画の原点、それはやはり“喜劇”である。


  3月の衛星劇場では映画の公開を記念して、
  山田監督の喜劇映画を特集!