衛星劇場 あなたのテレビライフを豊かにする。邦画・洋画・韓流・歌舞伎などバラエティに富んだ上質エンターテインメントチャンネル

邦画・洋画・韓流・歌舞伎などバラエティに富んだ上質エンターテインメントチャンネル

機能リンク

歌舞伎彩歌

ちょっと幕間「セリフ術で人間の葛藤を描く「新歌舞伎」という手法」

修禅寺物語 岡本綺堂(おかもときどう)真山青果(まやませいか)と並び、「新歌舞伎」の作家として多くの名作を輩出しています。
そもそも、「新歌舞伎」とはどういうものでしょう。何に対して「新」かといえば、江戸歌舞伎に対しての「新」。明治維新以降、西洋演劇の論理や手法を取り入れて作られた当時の新しい歌舞伎のジャンルを指し、明治・大正・昭和前期にかけ人気を博しました。
新歌舞伎の大きな特徴は、科白(セリフ)劇であるという点。「歌舞伎」といえば隈取りや見得(みえ)、ケレンと呼ばれる早替わりや大仕掛けなど、目に見える様式美を思い浮かべますが、「歌舞伎」の「(うた)」も「(まい)」もない、「(わざおぎ)」つまり演技やセリフ術にフォーカスして作られているのが新歌舞伎なのです。


今月放送の「修禅寺物語」は、明治44年(1911年)初演で岡本綺堂の出世作。「生まれながらの将軍」を自称する鎌倉幕府二代将軍頼家が、北条氏の勢力が増すにつれて身の危険まで感じるようになり、押し込められた修善寺でついに命を落とした史実を横糸に、一人の面作師・夜叉王の頑迷な生き様を、鮮烈なタッチで描き出します。
夜叉王は、将軍・頼家の面立ちを模した面を依頼されますが、「何度彫っても死相が現れてしまう。失敗だ」と献上を頑なに拒み、頼家の不興を買ってしまいます。やがて頼家の横死を知るや、「自分の腕の鈍りではなかった、死の影までも彫り付けることができた」と歓喜に酔いしれる夜叉王。道を極めるためならすべてを犠牲にする狂おしいまでの探求心で、人の生き死にも不感症となった凄絶なラストシーンをどう見るか。観客の人生観があぶり出される作品です。


先月(2017年11月)歌舞伎座で上演された「大石最後の一日」も、真山青果による新歌舞伎です。「元禄忠臣蔵」の最終話(第10編)で、初演は昭和9年(1934年)でした。江戸時代に成立した「仮名手本忠臣蔵」に比べると、同じ赤穂事件を題材にしているのに「松の廊下」も「切腹」も「討ち入り」も、そのものズバリのシーンはなし。地味に感じられるかもしれませんが、好むと好まざるにかかわらず敵討ちに巻き込まれていく赤穂の武士たちの心の中での葛藤や、浪士を貶めたり持ち上げたりする「世間」の無責任さへの鋭い切り込み方は、現代の私たちの心の在り方にリアルに響いてきます。江戸歌舞伎が溢れ出る感情と共感の芸術ならば、新歌舞伎は生きるべき道を照らす思考的側面が強いといえるかもしれません。