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作品詳細
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語。
ヒロシマ(『父と暮せば』)、オキナワ(『木の上の軍隊』)に続き、ナガサキを描くこまつ座「戦後“命”の三部作」の第三作。初演より同じキャスト・スタッフが作品を深めるべく集結し、待望の再々演となる。井上作品の担い手として数多くの作品を手掛ける演出の栗山民也、情感豊かな演技で陰陽併せ持つ母親像を表現した母・伸子役の富田靖子、母への想いを熱量豊かに演じた息子・浩二役の松下洸平。
【あらすじ】
1945年8月9日の原爆で壊滅的な被害を受けた長崎で、ひとり暮す伸子。彼女は息子・浩二を原爆で亡くしていた。あれから3年、ようやく息子の死を受け入れられるようになった伸子の前に、浩二が亡霊となって現れた――。
(2024年8月18日~31日 東京・紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA ほか)
放送スケジュール
撮影:福岡諒祠
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富田靖子さん、松下洸平さんにインタビュー!
――『母と暮せば』は2018年に初演され、2021年に再演、そして3年を経た2024年に三たび上演するという形になりました。再々演が決まったときはどのようなお気持ちでしたか?
富田:最初に連絡を受けたのは前回の長崎公演のときでした。でも、その公演は「明日みんなで頑張るぞ!」という前日に、コロナ禍の影響で中止になってしまって。それから数時間後に演出の栗山民也さんから、「再々演、絶対にやるよ!」という直筆のメッセージをいただいたんです。
松下:前回のそうした悔しさがあっただけに、またやれることが決まって本当に嬉しかったです。それに、3年前には回りきれなかった場所でも今回は公演ができたので、喜びもより大きかったです。この『母と暮せば』は栗山さんがとても大切にしていらっしゃる作品ですし、僕ら演者も、やり続けるべき作品だと思っています。それに、何よりも長崎に住む皆さんが心待ちにしてくださっているのをこの3年間ずっと感じていたので、気を引き締め臨まないといけないぞという気持ちにもなりました。
富田:ただ、私に関していえば、3年前に長崎公演ができなくなったとき、ちょっとだけホッとしてしまった自分がいたんです。もちろん、絶対によくない考えだと分かっています。でも、長崎に原爆が投下されて3年後の親子の物語を描いたこの作品を、実際の長崎で上演するということが、当時はとても怖くて。“はたして自分は皆さんの前でお芝居を見せられる域に達しているのだろうか”とか、“(台詞の)方言は間違っていないだろうか”とか、そうしたことが頭の中でぐるぐるとしていたんですね。けれども、栗山さんから「絶対にまた長崎でやるから」という力強いメッセージをいただき、そんなことを考えていた自分が恥ずかしくなって。同時に、“よし、頑張ろう”と強く思ったのを覚えています。
――今回の再々演に向けて、演出面での変化はありましたでしょうか? 3年前の再演のときにお2人にインタビューをさせていただいた際は、栗山さんが母と子の距離感や会話によりリアリティを持たせるようになったとお話しをされていました。
富田:今回はそのこだわりがより一層、強くなったなと感じました。「家の中なんだから、そんなに大きな声は出さないでしょ」って言われたり(笑)。
松下:そうでしたね。“これ、客席に声が届くのかな……”って不安になるときもありました(笑)。でも、栗山さんが大事にしているのは、そうした日常的な風景なんだと思います。何よりも、“母の伸子と息子である浩二がそこにいる”ということをお客様に届けたいと思っている。だから、僕たちも、いい意味でお客様の存在を感じないようにしているんです。目の前にあるのは客席ではなく、家の庭であり、その向こうには長崎湾が広がっているんだと常に想像していて。そうすることによって、反対にお客様たちのほうが僕たちの世界に入ってきてくれるし、親子の暮らしを覗き見しているような感覚になってもらえる。だからこそ、当時の様子をより濃くお伝えすることができて、観ていただいた皆さんの心や記憶に残るようなお芝居になったのではないかと思います。
富田:ただ、そうした親子の姿を自然と表現できるようになるまでに、私はすごく時間がかかりました。初演のときは本当にただ、あわあわしていましたので(苦笑)。
――この『母と暮せば』は富田さんにとっては初めての二人芝居でしたよね。
富田:はい。最初はお声を掛けてもらってすごく嬉しかったんです。でも、台本が届いて、台詞の量に驚いて。栗山さんには言えなかったのですが、演出助手の方に「これは人が覚えられる量ですか?」って聞いたほどでした。
松下:そうなんですか!?(笑)
富田:そしたら、「覚えられます」とさっぱりと言われて(笑)。同時に、「そうは言っても、二人芝居はいちばん難しいですよね」ともおっしゃられたので、“えっ、うそ!? それは早く言ってくれなきゃ困るよ!”と思いながら稽古をしていました(笑)。
松下:確かに台詞量は多いですよね。だけど、こうして100回以上も本番を重ねてきたこともあり、今はその膨大な台詞が100%どころか、150%ぐらい体に染み付いている。それってすごくいいことだなと思うんです。“次の台詞はなんだっけ?”と考える必要もなく、勝手に口から出てきますから。それに、本番中に頭で台詞を考えなくていいので、その分、母親の気持ちも慮れるようになるんです。靖子さんの台詞を聞きながら、“今、母さんはどんな気持ちで僕(浩二)に話しかけているんだろう”とか。舞台ってどれだけ稽古を重ねても、どうしても本番で緊張してしまうものですが、この作品ではそんなことを一切考えずに物語の中に入っていける。それができるのは、本当に幸せなことだなと思います。
――また、冒頭のお話しにもありましたが、今回はようやく長崎でも公演を行いました。終えてみての感想をお聞かせください。
富田:やはり最初は“私、大丈夫なんだろうか……”という恐怖がありました。でも、それは私が勝手に怖さを感じていただけで、本番前に舞台上で台詞の練習をしていたら、だんだんと何かしらに守られているような感覚になったんです。あれはとても不思議な体験でした。公演後も、ご覧になられた方々から「素晴らしかったです!」と言ってもらえたことが嬉しかったですし、本当に公演ができた良かったなと思いました。
松下:今作のように全国で公演をさせていただくと、地域によってお客様や会場の雰囲気が違うことを実感します。でも、長崎はやはりほかの会場とはまた少し異なるものを感じました。
富田:うん。特別感がありましたよね。
松下:お客様の反応にも違いがあり、例えば、東京だとラストに近づくと客席からすすり泣く声がたくさん聞こえるんです。でも、長崎では“よく言ってくれた!”という気持ちが伝わってきたんです。“自分たちが思っていることを言葉にしてくれて、お芝居にしてくれてありがとう”って言ってくれているようで。それに、台詞のすべてが共通言語になっているので、劇中に登場する町や場所の名前も全部が通じる。そこもほかの劇場とは違った部分なのかなと思います。
富田:眼鏡橋の近くに実際に山口医院という病院があって驚きました。産科ではなかったのですが、“本当にあるんだ!?”と思って。
松下:そうでしたね。だからきっと、お客様もお芝居を見ながら、“あ〜、あの辺りのことを話してるんだな”と分かる。それはそれで、若干怖さがありましたけど・・・(笑)。
富田:でも、それだけに、長崎のお客様にとっては、まるでお隣さんの家の話しを聞いているような感覚で、この作品をご覧いただけたのではないかと思います。
――最後に、放送を楽しみにされている方にメッセージをお願いします。
松下:映像でもしっかりと作品に込められた想いをお届けできるように一生懸命演じましたので、一人でも多くの方にご覧いただければと思います。栗山さんもおっしゃっていましたが、この演目は続けていくべき作品ですし、画面を通じて、親子の絆や彼らの物語に触れて、何かしらを感じとっていただけると嬉しいです。
富田:本当に松下さんの言葉どおりで。多くの方にご覧いただくことで次の上演に繋がっていきますので、のちの世代に残す意味でも放送を見ていただき、多くの方にこの作品を伝えていっていただければと思います。