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Cinema de 温故知新

“伴淳(バンジュン)”の愛称で親しまれた昭和の喜劇名優・伴淳三郎

 あっという間に2017年も終わりが近づき、まもなくして2018年が到来。衛星劇場では1月より、伴淳三郎主演の名作喜劇『二等兵物語』シリーズ全10作品の放送が決定!

“伴淳”の愛称で親しまれた昭和の喜劇名優・伴淳三郎は1908年1月10日生まれ(つまり2018年で生誕110周年ということになる)。出身は山形県。母方の叔父が新派の俳優だったことが縁で役者に興味を抱くようになり、24年から鈴木のぼるの芸名で、いくつかの舞台に立つようになる。

 25年、東木寛と芸名を変え、その他大勢で初出演した映画『戦塵』で映画の魅力にとりつかれ、以後端役で映画出演するようになる。27年に伴淳三郎と改名。29年より大きな役をもらえるようになっていった。

 30年代初頭は舞台に戻るが、再び映画が恋しくなって34年に大都映画に入社し、主演俳優として作品を連打。以降は各社を転々としながら珍演怪演を披露する“珍優”として人気を高めていく。戦時中は伴淳軽喜座の座長として各地を巡業。召集令状も受け取ったが、徴兵検査当日、女装して会場に現れ、さらには検査直前に醤油を一升瓶分飲んで肝臓病を装い、憤慨した検査係官から追い出されたという。

 戦後もしばらくは舞台中心の活動だったが、48年から徐々に映画にも顔を出すようになる。そして51年の斎藤寅次郎監督作品『吃七捕物帖・一番手柄』に用心棒役で出演した際、一網打尽のシーンで山形弁を基にした「アジャジャーにしてパーでございます」を口にして、いつしかそれが「アジャパー」として流行語となり、53年には主演映画『アジャパー天国』『名探偵アジャパー』が作られるに及び、喜劇俳優・伴淳の地位がここで固まった。

 55年には松竹と専属契約を結び、そこで生まれたのが『二等兵物語』シリーズである。染取三義の同名小説を原作に、福田晴一監督が伴淳と花菱アチャコを主演に『女と兵隊』『蚤と兵隊』の二部構成で送る戦争人情喜劇。

『二等兵物語 女と兵隊・蚤と兵隊』

軍隊に召集された発明家の古川(伴淳三郎)と靴修理屋の柳田(花菱アチャコ)が、そこでさまざまな軍隊の非道に直面しては翻弄されていく姿を滑稽に描きながら、軍国主義及び当時の日本人の精神構造を笑いの中から糾弾していく。まだ戦争の傷が生々しかった時期、ふたりの中年男の悲哀は多くの国民の共感を得て大ヒットするとともに、結果として計10本のシリーズ化がなされることになった。女装し、醤油を飲んで徴兵検査を免れた伴淳の、戦争に対する忸怩たる想いが結実した好シリーズともいえるだろう。

 その後も東京映画に招かれて森繁久彌と共演した『駅前旅館』(58)の大ヒットによる駅前シリーズなど喜劇スターとしての貫録を保ちつつ、庶民的キャラクターを活かしながら五所平之助監督『螢火』(58)、木下惠介監督『惜春鳥』(59)、大島渚監督『太陽の墓場』(60)などシリアスな役柄にも出演するようになる。その代表格が64年の東映映画『飢餓海峡』の刑事役で、ここで毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。また黒澤明監督『どですかでん』(70)の“島さん”役も映画ファンの間で語り草となっている。

 81年10月26日、永眠。享年73歳。

 ちなみに、今も芸能文化人の手で推進されている“あゆみの箱”募金運動は、もともと彼の友人である映画監督・川島雄三が小児麻痺の後遺症で63年に死んだことを機に、「小児麻痺で苦しむ子どもたちに光を当てたい」という想いから、森繁久彌らとともに発足させたものであった。