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歌舞伎彩歌

我が子を捜す母の気持ちは今も昔も変わらない

『隅田川』


京の都で幼い我が子を見失った母・班女は、必死でその行方を捜し、とうとう江戸まで来てしまう。そして、隅田川の渡し守の話から、我が子らしい男児が一年前、向こう岸で死んでしまい、今日はその子の命日に当たると知る。


……あらすじだけを見ると、なんとも御都合主義の、非現実的な物語に思えるかもしれません。でも、具体的な地名や時の流れは単なる符号でしかなく、これはいつの世も同じ、愛する我が子を奪われた親の気持ちを描いた作品です。
例えば、東日本大震災で大津波に家族を持っていかれた方々は、必死で行方を捜しました。何年経とうとも、ご遺体が見つかるまでは「行方不明」。「もしかしたら生きているかもしれない」という切なる願いは、消えることがありません。誘拐による行方不明も、山での遭難も、家出の捜索も、親の気持ちはただ一つ。どんな形ででもいい、生きていて!の一念のみ。少しでも情報があれば、どこへでも捜しに出かけていきます。
そういう人の人生は、時が止まる。自分のために生きる権利を放り投げ、ただ再会の日だけを願う親の目に浮かんでくるのは、別れ際の子どもの姿でしょう。


班女は「我が子の墓かもしれない」とされる場所へ赴いても、「そうであってほしい」気持ちと「そうであってほしくない」気持ちの両方に引き裂かれます。このまま行方不明でいてくれた方が、もしかしたら幸せかもしれない。子どものいない現実より、夢の世界にたゆたって、知らない土地を永遠に捜し続けた方が、どんなに楽かしれない。子どもを奪われた母は、まさに狂女。奪われたことにより狂い、捜すことにより狂い、そして、死んだ我が子に対面するとき、さらに狂わねばなりません。


その場で班女が念仏を唱えると、目の前に一瞬、我が子の姿が!


それは、本当に我が子の霊だったのでしょうか。それとも、狂った母の作り出した妄想だったのでしょうか。何れにしても班女はその時初めて「死んだんだ」と納得し、声をあげて泣き、悲しみを吐き出します。そしてそこから、彼女の「時」が進み始めるのです。
この作品は能楽の「隅田川」をほぼ踏襲した、班女と渡し守だけの動きの少ない舞台ですが、それだけに名優しか演じ得ない特別な演目の一つと言えましょう。