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歌舞伎彩歌

猿若江戸の初櫓

『猿若江戸の初櫓』


歌舞伎の発祥は、出雲の阿国が京の都で阿国歌舞伎を始めた1603年といわれています。関ケ原の戦いを経て徳川の世になったとはいえ、文化の中心は、前と変わらず畿内。江戸の町は、まだまだ整備建設の真っただ中です。


では、江戸に歌舞伎がやってきたのはいつのことでしょう。それは寛永元年(1624年)。日本橋中橋で、初代猿若勘三郎がお上の許しを得、官許の芝居を興行したのを、江戸歌舞伎の始まりとしています。「猿若」は道化の役柄で、これを得意としていた勘三郎は座名を「猿若座」とし、(やぐら)を上げました。


その後勘三郎は中村勘三郎と改め、座名も中村座になります。市村座や森田座、山村座とともに「江戸四座」に限って櫓を上げることを認められるようになった1670年ごろには、歌舞伎はすっかり江戸の娯楽になくてはならないものとなっています。


今年二月の歌舞伎座夜の部公演では、その中村勘三郎家に連なる一番おチビちゃん、勘太郎と長三郎が「二人桃太郎」で初舞台を踏みました。そして昼の部で上演された「猿若江戸の初櫓」は、江戸に櫓を上げたいきさつを芝居仕立てにしたものです。中村勘三郎家に長く伝承される寿狂言「猿若」をもとに、昭和62年(1987年)、江戸歌舞伎三百六十年を記念して開催された「猿若祭」で初演されました。


寿狂言とは、座元継承など区切りの興行や慶事の折に上演されるもの。中村勘三郎家はこういう形で江戸に根を下ろした経緯と、そのときお世話になった方々に対する感謝を伝承してきたのでしょう。 中村屋が用いる「黒・柿・白」の定式幕は、幕府の御用船「安宅丸(あたけまる)」の幕を拝領したことに由来するといわれます。初世猿若勘三郎が安宅丸の舳先に立って入港の音頭をとったのは事実だそうで、「猿若江戸の初櫓」では、船を将軍家への献上品を乗せた荷車に変えて、その逸話を盛り込んでいます。


作品の冒頭、猿若勘三郎と出雲の阿国が花道から登場し、七三で立ち止まって江戸城を遥かに望む場面は、希望を胸に新天地に足を踏み入れる喜びと気概がみなぎり、観る者もともに清々しい気持ちに。史実では出雲の阿国は江戸には下っていませんが、そこはフィクション。猿若が中村勘九郎、阿国が中村七之助という絵面がまたぴったりとはまり、まさに中村屋の行く末を寿ぐ一幕になっています。