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歌舞伎彩歌

「沖津浪闇不知火〜不知火検校」テッペン目指し悪の限りを尽くす、盲目の孤独な生きざま

「沖津浪闇不知火〜不知火検校」


「検校(けんぎょう)」とは何でしょうか。
江戸時代、目の不自由な人でもできる職業を保護する「当道座」という組合のようなものがありました。彼らは健常者と職業のすみ分けをし、あんまや三味線弾きなどで生計を立てていたといいます。
とはいえ、当道座には厳然としたヒエラルキーがありました。階級は70以上にも及び、「座頭市」でおなじみの「座頭」は下位のほう。頂点である検校(けんぎょう)になれば、よい着物を着、大きなお屋敷を持って使用人にかしずかれ、健常者も金を借りるために頭を下げたといいます。


しかし、誰もが検校になれるわけではありません。そこに至るには、一段地位を上るたびに多額の上納金が必要でした。


このお話は、杉の市という一人の盲目の男が、検校になるために全力で生き抜いた、立身出世のストーリーです。
ただ、そのやり方がフツーじゃない! 彼は幼いころから手くせが悪く、ウソをつき、長じて人の妻を寝取り、殺しもいとわず、社会の片隅のごみ溜めから這い上がるようにして、盲人としてのテッペンといわれる検校の位にのぼりつめるのです。


罪悪感のかけらもなく、あらゆる「善」をなぎ倒して生きる男・杉の市ですが、松本幸四郎が演じると、憎々しい中にそこはかとない空しさが漂います。女を抱いても金を得ても、杉の市はちっとも幸せそうに見えません。まるで母親の気を引くために悪さをする幼子のように、叫んでも笑っても、彼の瞳は常に溢れんばかりの悲しみを湛えているのです。


生まれや環境が悪かっただけで、良心はきっとある。最後は罪を悔いるにちがいない!……観客としてはそう思いたいところですが、杉の市はなかなか改心しません。ラストシーン、背をシャンと伸ばして歩く姿には「絶対にお前たちの思う通りにはならないぞ」というバリアーを感じます。杉の市は、同情されるのが大嫌いなのです。


「お前たちに『すいません』と言いながら生きる義務はない」
「目が見えないからといって、お慈悲をありがたがるつもりはない」
「俺たちは遠慮しながら生きなくてはならない存在じゃない!」


宇野信夫がこの作品を書いたのは1960年、昭和35年のこと。杉の市のかたくなな背中は、舞台の上の捕り手や野次馬に向けてだけでなく、観客にも向けられているのではないでしょうか。「不知火検校」を観た後、心が少しざわつくのは、私やあなたの中にもハッと突かれる部分があるからかもしれません。